一部執集

― 怠慢と追求の巧い駆け引き ―

TVの某CM見てるとさ

アニメ漫画のキャラクターをリアルの人間が再現するに当たって、やっぱオフィシャルでリアルの人間が演じるってことに凄まじい後ろめたさが絶対あんねやろうな、

一番その、人間の表情とか印象の命と言える目の辺りに、わざわざ思っきし影入れて真っ黒にしてまで、宣伝するくらいなら、

アニメのキャラを実際の生身の人間が演じることへのイメージが崩れて叩かれたりするの怖さに、そんな処理を施してまで再現するくらいなら、

 

鼻っからリアルの人間にやらさんけりゃええのにってな。

 

別に批難したいわけではない。

最後に書いた内容の続きを言いたいでもないんやけど、つまり『単純で蒼く熱い、バカ』が一番大好き。あとこれもっと重要なのが、『常に本音で、生きてる奴』な。

俺も、全くそこに意識置いたことない年齢の頃から日常的に当たり前のように耳にして来ただけに血肉に染みてもうてるゆえに

今の今もすごいさらさらっと感覚的に当たり前のように使いこそしてるけど

 

俺は基本的に、多分自我が確立されようとする中坊の頃から、ずっと正直、

 

日本の、長きに渡り、頑なに徹底してるこの

 

自分と同年齢〜その下に対して、相手の名前を、

苗字で呼び捨てる』文化

 

これが嫌いで嫌いで仕方がない。

嫌いで、仕方がない。

言うのも言われるのもしょうみマジで嫌い。

 

なんか暗に「呼び捨てじゃないと、いけない」「呼び捨てることが、当たり前のルールであり、美徳」的な匂いすら漂う

 

アメリカとかの人ら見てりゃ親しみ込めてお互い下の名前で呼びあうのが殆ど当たり前になってんのに

 

目上のもんに、呼び捨てはあかんとか、会話でですます調やくんさん付けを欠くことを失礼に当たるのはそれは大いに納得する。

人として当たり前の話。

自分より先に生まれ、自分より人生の何歩も先を行く人間にそういう礼儀を欠いた口調が失礼に当たるのは至極当然。そこは慎みと相手への思いやりを一番の信条とする日本人の古くからの心。

 

だから同年齢や下の人間やからって苗字で呼んでいい、

自分にとって目上の人間、こっちは相手が目上だから丁寧な言葉遣い、でも相手は目上、こっちは下だから相手からはそういう多少の礼儀を欠いた口調でいい、は、

はっきり言って理由にならん。なんか、違うくね?

譲って譲り合う、持ちつ持たれつ、ギヴ&テイク、これらにバイアス掛かってるとしか思えん。ほぼ譲りっぱなし与えっぱなしって。なんとも不服だなあ。

そういう呼び方して相手への親しみが産まれると思っているのか。俺は思わんよな。毛ほども。

下手しぃ言い方によっちゃ相手を傷付けかねんし。そこまでしてそういう言い方してなんの得がある。

苗字で切り捨てるってなんか、スッゴイ相手をぞんざいにしてる気すらする。人権がとか、そういうとこまでちょっと考えてまう。そのあたり軽く無視してね?みたいなさ。

 

たまに苗字の中の何文字か抜き取ってそれをあだ名にする奴いるけど、そういうのはすごく好き。

元は苗字やけど、相手を好意的に見てそいつだけの言い回しを新たにわざわざ考えてくれとるわけやろ?

悪い気なんてするわきゃねーよ。そういうのよ、親睦を深めるっていうのはそういうことを言うのよ。

ただただ投げやりに、そいつの苗字がただそれやからとりあえずそう呼んでるだけじゃ、みたいな

好かんなー。超絶好かん。

好かんし、親しみどころか相手をむしろすごい突き放してる感じする。

 

まぁどうであれ、ずっとそんな環境下に身を置いてて、いくら当人が嫌い嫌い言うてた所で次第に身体が慣れてきてまうっていうのも、また気持ッちの悪い話(冷汗)。

悪いけど、「人付き合いとはそういうものだ」で、片付けたくは無いよな。

どうにもならんもんはどうにもならん。無理なもんは無理

それは「自分を持っている」「確固としたアイデンティティを持っている」「自尊心がある」というものからはあまりにも程遠い。全くの別物だ。それは所詮ただの『餓鬼のわがまま』に過ぎん。

最近よく勘違いされるのやけど

 

俺は落ち着いた人間の、味方であって

冷静な人間は、全員敵。

 

意味が分からん人は、その字を一遍改めてよく見てみたらいい。

 

物の見方が“冷”めていて、“静”かなる人間、

そんな人間に、俺は好意なんて持てるはずがないって事。

 

英語圏から来て日本で流行った言葉の一つで、

 

なんでそもそも、クールな奴は、「クール」って言われるか、

って事ですよ。

 

文字通りの使い方してんなと。

考えてみりゃ、あれ褒め言葉として使うには間違ってる気もする。

 

言う側は勿論、見てたら、言われた側も正直考えもん。

 

 

触れるものに対しての、熱さが失ってしまった人。

どんな状況に身をおかれても、常に次の一手を考えられる。先を見据えられる。

もはやそんな人間、俺は一般的な人間として認識できないんよね。

人間のカタチした、人型ロボットも同然。

機械仕掛け。ONもOFFも全て、生きていく上でのやること成すこと全てが事務で義務で仕事。管理下の元で支配された、キッチリカッチリ、組まれた枠内で生きる。テキパキテキパキ。あーサブイボ出る。

ニュートラルに入れて慣性状態のまま転がり行くままにただ転がってるだけの車のようだ。つまらんったら無えわ。

置かれた状況、見えるもの触れるものに対して心の奥底から、本気で泣いたり、本気で笑ったり、怒ったり

そうして、人間は人間としての生活や日常や、生くべき道を豊かにする。

うちの母親が「アンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』を聞いて、マジで泣いた」と、いつか言っていた気がする。

こう、やってると


記憶は、毎日毎日新たな情報だらけな中常に上書き保存されて、

覚えていたはずの過去のあらゆる記憶が

無自覚にランダムに消去(忘却とも)されてたりするものやけど

 

音楽って

 

過去に耳にしてたはずの音楽って

 

忘れてるはずのものがずっと頭に残ってる

 

忘れてるはずのものほどずっと頭に残ってる

 

諸行無常の世界

 

全てのものは移ろい行き、新しく何かが生まれそして消え行く

そんなサイクルのこの世界で

 

音楽だけは

 

音楽だけは

 

多分永遠の存在なんやろうなって

 

こんな廃れた、いつ消えても潰れてもおかしくもなんともない世界の中で産まれた、

 

形のない、

しかし確たる永遠の魂を持つ

唯一無二の存在

 

俺と、

 

俺たちと、

 

皆んなと

 

音楽って、

 

切っても切り離されん存在やと思った

 

今、

 

俺は物書きをしている。

ソ連の事をチラチラッとggってると思うんやけどさー、

なーんか世界各国、昔も今も、凄くフラッフラのガタガタで、

その危うい状況を、

本当にデカいものが倒れかけようとした、それに気付いた本当ごく一部の数少ない人間がそん時だけ、間に合わせにも似たような様子でとりあえず支え持ち上げようとする

常にその連続で世界をどうにかこうにかずーっと今まで辛うじて繋いでこれたように見えてくるよな。

 

昔よりかは今のほうが平和にはなったって言う人は言うけど、

 

いやー多分ある意味何も進歩しとらん。

 

ギャースカ騒ぐか、黙ってるか。

目に見えるか、見えないか。

 

今と昔の違いってたったそこだけのように思う。

 

愛と平和をって、

 

色んなそこに至るまでの道筋は各国各々やり方や考えや企てあるんやろうけど最終極地は多分皆少なからずそこで

でも常にそこを年頭に置いてるつもりであっても本当のところはどこに向かっていけば良いか全く分かってない。この先何十年何百年後どこに行き着くのかサッパリだ。ポルノグラフィティの鉄槌って曲での「スプーンで抜け穴を掘る」ってフレーズは本当よく言ったものだと思う。

まぁ、分からなくしてる人間が、いるからこそなんだろうが。工作の時間に皆一緒に物作ってる最中に余計な気を起こしたいらんことしぃがそれを阻みにくると同じでさ。

いやー、マジで絵に描いたようなフラクタルの法則だ。

 

表裏一体、表あらば裏ありのように

平和を平等を、と謳って切磋琢磨しとる奴がいるってことは、

もう一方でそれだけ気に喰わんと思ってる人間も存在している。

作りたい奴と壊したい奴がいて、やっぱり今後の道になるであろうより良いもの作りたい、そう思う他の連中もなるべく多く味方につけて、どないかして壊したい奴らとそいつらの引き起こす問題事に片を付ける。そうしながら進めるべき物は進めて、

でもどんどん問題事がでかくなっていく。作りたい奴らの出来上がっていくものに比例して。ましてや今やそれ以上に問題ごとのほうがでかなって、

それを対処するのにあまりに追われすぎて歩を進めるのが段々と滞ってきている。それゆえ当初の目的を忘れそうになっている。本来何を自分たちはしたかったのか。

要は、哀しき哉、その作りたい奴の進歩してきたことによって、そりゃもう必然的にそれだけ片方の壊したい側にも知恵を付けてしまうことになる。増長するわ、色んな考えが回るようになるわで。壊したい側も今のご時世もう殆ど優等生ばかり。いらんことしぃ=アホって風潮も今や時代遅れか。寧ろキレ者揃いかもしれない。

 

そして歩を進めたい人間の立ち往生して足踏みを延々ずっと繰り返して、

んで、今日がある気がする。

 

地盤が危うくてそっちこっちに倒れそうになってるものを、それに気付いた極少数の人間が気付いたときだけ必死で受け止めて、また元に戻してやる。

 

今も昔も、常に世界って、それを繰り返してきたように見える。

 

そしてほんまにこのまま行けば、ソ連崩壊ならぬ「全世界崩壊」も本当に現実問題になってくるんかも知れん。まぁまたソ連の場合は話が違ってくるけど。

作りたい側と壊したい側、お互いがお互い刺激し合って肥大化し過ぎた挙句、やがては限界が来て

全てがぶち壊しみたいな。

 

罰ゲームとかでよー使う巨大風船の二つが一個の部屋にあんのと同じよ。

膨らまし始めて、お互いがお互いの風船の膨らみを見るなり我先に我先にデカくしたろうって必死になって結局デカなりすぎて挙句仲良く一緒にドカン。

 

相手がトラブったりしくじったときにただ藪から棒に激昂してガミガミ言うて、で結果相手を切れさせて悶着起こして、、、って、そんなんじゃ始まるもんも始まらん。

その、怒り方を考えていかにその相手が理解して今後気ぃ付けるようにさせるか。

 

そういう所から、多分ちょっとずつ変わってくる。