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一部執集

― 怠慢と追求の巧い駆け引き ―

気を紛らわすように、脳内意識を蟠りから何とかよそへ引っ張り出すように

食って、出す、

飲んで、汗かく。

同じく気も、新陳代謝は大切です。

 

昔からそうだ

自分が知らないこと、出来ないこと、はては個人個人の主観でしかない嫌いなことでをも

自分以外の誰かが、知っている、出来ている、好きって気付くことが何より気分が悪い。ケッタクソ悪い。胸糞悪い。

平たく言えば「若い内は誰にでもそんなことはある」とか「懐狭っ」とか「小さい」などと、まぁ人間は結局所詮他人事ゆえにどうでも良いガラケにでも入ってるような定型文的感想を思いつくままに吐き捨て片付けようとする。

だからゆとり世代はなどと苦言を呈されそうだがその実俺がこの世でダントツで一番嫌いなのは他でもない人間、

付け加えるならなおかつキレる、出来る、巧みに媚びる、当たり障りの無い発言しかできん腰抜けな癖にそれが世渡り上手だとか思い込んでる連中、一知って万億兆知った顔する奴、などなど挙げだしたらそれこそキリが無い。

つまり自分自身が思う上での自分以上にスペックに高い他人、そして俺と同じ世代で、尚且つ身近にいる連中の中で、俺より生きていく上での当たり前の順応性を身に付けれてるって知った瞬間心から憎たらしくて憎たらしくて仕方がない。

つまりカスです。

 

あとどうでも良い話に飛ぶけど、まぁあまり人がボヤくほど「ゆとり世代」たるものに関して俺は関心はないし興味も無い。

決まり文句の一つでもある、団塊の世代が折に触れて今の20代前後の奴らによく使う「これだからゆとり世代は、」っていう、これ。何か最早団塊の世代が何もかも正しいとかゆー風にしか聞こえないスローガンみたいなやつ。

ゆとり世代ゆとり世代って決めたんなら別に良い。それはテメェらの解釈と定義でしかないから俺は何と言われようと構わない。テメェらがそうならそう、今こうして言われる所以を有り体に申し上げますとまさしく、それを耳にしたどっかの誰かが鵜呑みにして右倣えした成れの果て。ステレオタイプ甚だしい。皆何も難しく考えなくて良い。

テメェ専用の物差しを俺たちにあてがった所で合うわけがない。サルでも分かる。

俺らから3世代くらい前の誰かさんがまた別の見えかたをしたんならまた現在違う何かになったんだろうし、そんなもん各々の独断でしかない。

そう思えば結構どうでもよくなる。俺らは俺らであって、そいつらは俺たちのなんでもない。ヘンにいちゃもん付けたところで俺らがそうじゃないって言い張ったらそうじゃなくなる。

だってそれは俺たちの考え方だから。お前らはそうであってそれをいくら声高に主張したところで誰一人耳を貸さなければ所詮はただのアホの近所迷惑でしかない。そういうこと。

勝手に言わしてたら良いだけの話。そこにいちいち関与する必要はないのだ。時間と気力と青春の無駄。

ゆとり世代なら別にそれで良い。その固定概念の枠に入ってすらやるよ。そうだ、俺たちはゆとりの連中だ、ゆとりで何が悪い。

個人の主観概念を自分の思い通りに押し通せると思ったら大間違いだと思うんだけど。

尤も、俺は押し通せると思ってる側だが。

だが俺は永遠の10代であり、頭の悪いバカであり、そして同年代のバカ野郎たちの味方であるから。