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一部執集

― 怠慢と追求の巧い駆け引き ―

学生の内からちゃんとそういうの勉強しとけば良かったと後悔先に立たず。

相対性理論がおもろい。

なぜその発想に至ったのがほんと魅力的かつ興味深い。

アインシュタインの、「光の速さで進みながら鏡で自分の顔を見たら鏡に映るんか」という思い付きから全てが生まれる理論(笑)

16の時だっけ?でも16でそんなこと考えるのは色んな意味でよほどのアホだ。マジでアホ。

俺が16の時なんてマジでギター弾いて暴れてるだけの能無しだったわ。

 

止まっている人間の時間の速度と

動いてる物の持つ時間の速度は違う、とか

動いてる物体は僅かに縮んでいる、とか。

 

絶対的と言われてきた、時間と距離の関係は実は相対的である、

とかそういうのを数式にしたりして原理を追求するの、結構おもろい。

 

現に今もそういうサイト見てるわけやけど。

 

でも一つすげー釈然としないモヤモヤしてるのが、

 

「慣性系」の自分、と「光速度不変の原理」の関係。

 

アインシュタインは、光と旅をしてみたい、と思った。

そこで、この先実現するかとか正直知ったこっちゃないが「毎時光の速さを等速で出せる車」があって

その中に自分が乗る。

その中での自分は、自分自身は止まってるように感じるけど実際車は光の速さで走ってる(動いてる)。

その慣性系の中にいた状態で、放つ光と一緒に、同じ光速/hで並走は無理、という理論。

理論上、慣性系の中においてそれは不可能、となっている。

今のところ、光そのものの放たれる速さは光であって、だからどこから誰がどう見てようと光である。光速である。ってなってる。

それが即ち「光速度不変の原理」。

この原理がどう成り立ってるのかがいまだに分かっていない。のかも知れない。

理論では現段階ではそのプロセスを説明できないものなのかもしれない。

その実、そうなってるから、そうだからそうであるという前提に基づいてるんだって。

分からんよなぁ。もっと探らんか。

「実際毎時高速で飛ばしてるけど止まって感じる慣性系の中の自分」だと、光の放つスピードと並行して進むことは無理。

とするなら

じゃあ、これもまたいずれそんなん出来る奴が生まれんのかは知ったこっちゃないが

人間自らの足で光の速さが出せた時、光速の光と一緒に並走できるのか、っちゅー問題。

どっかのデキるポストアインシュタイン的教授が立証し提唱してくれんかねー。

無論俺の頭じゃそこまで回らんし。

でもそれじゃどの括りになるのか。静止、慣性、非慣性、そのどれも無視しちゃうパターン。

それじゃ摩擦や大気や重力とか、ニュートン力学と矛盾が生じるか?

パン、と手を打ったその瞬間非慣性状態は一切なく突如光速/hが自らの足で出せる人類が産まれたとしたら。

地球の上に生きてる以上絶対に無視できんのか、その辺の力学とかは。

じゃあ光にだって非慣性状態の瞬間は大なり小なり存在するものであって、ってことにならん?

その非慣性状態の時も含めて綿密に計算し尽くし、慣性状態になるタイミングをジャストに光と人の足を合わせてみる、って、それこそ無理な話か。

誰がそんな暇人みたいなことすんねん、ってなるわな。

だから、って言うのも何かスッキリせんけど。

 

原理ってとどのつまり、実際解く人間からは「その実、そうなってるから或いはそうだからそうである」という前提に基づいてるらしい。

何でそうなってんのか分からなかろうがとにかくそのプロセスはそうであるもの、と飲み込むことは理論の破綻には一切ならないんだと。

 

…………いやじゃない?

何?この妥協感。「まあそういうことにしとこうや」臭。

そう思ってまうこと自体がぱーぷりんトーシローなのか?

でも思うだろ。

なぜ、そうなった?を徹底的に追求してこそ勉強だろ。

 

ほんと最近、ガキの頃に戻って勉強しなおしたいと思うようになってきた。