一部執集

― 怠慢と追求の巧い駆け引き ―

蒼さ、若さ、熱さというのは、どんなに年食ったとしても老いぼれ老人なっても、例え現実主義で沈着冷静な女性からそれを「アホらし」「アホくさ」などと一蹴されたとしても、忘れてはいけない。○ン○コ付いた漢ならな。

改装の日が差し迫ってきた途端、寂しさが込み上げてくるってな。なんて都合ええ奴なんやろうな俺って。

 

この「ありがとう、立誠小学校」プロジェクトが始まって、多分第一弾やったと思うファラウェルイベント「RISSEI PROM PARTY」に、俺さ、

 

バカなのかっての。

 

レコード大売出しするってだけで、

普段から普通にやってるそこらのレコードショップ行く感覚で、立誠小学校行ってやがんの、俺。

 

わけが違うっつって。

 

全くその重み、ありがたみっていうかその辺全く分かってなかった。

 

クソだなクソ。

 

案の定、何も考えてないから時間もなんか意味の分からん閉所間際に滑り込みで行きやがるし。

 

見ろよ、その立誠小の校舎を後にしてから段々、脳内に走馬灯のように、校舎内(多分講堂のDJが流してたレコード)のスタッフとちょっと一言二言なんか聞いてる時に爆音で流れてきたFoundationsのBuild me up buttercupが

ずっと頭グッルグルグッルグルグッルグルグッルグル。

そういやThe WhoとかHerman's Hermitsとか、あの辺の時代のUK音楽幅広くよー鳴ってたような気もするし。

 

あの校舎にはな、人を懐古的、………って言うたらその思考を微妙に侮蔑してるようなニュアンスが含まれるけど、なんていうか、学生の頃のあの懐かしい、追憶の彼方にぶっ飛ばす力と、それと同時に寂寞の念に埋もれさすような力が、あの場所にはあって、

重い扉、軋む床、下駄箱、教室棟から講堂につなぐあのアプローチ、所々剥げたコンクリ、錆びた非常ベルに錠、木とコンクリとカビと色んなもんが交じり合った、まさにかつての俺たちが日ごろずっと過ごしてきたあの場所のような独特の匂い、、、

もう、自分がまさにその時代の頃に心身ともに還ってる感覚がするのよ。

 

まぁ上げ出したらきりがないけど。

 

人間ってバカなもんでな、後々になってその大切さありがたさ、「事の重大さ」に気付くもんよな。

 

俺らが学生の時にしてきたこと、

それが無益であろうと有益であろうと、本当に何かに熱中してたり打ち込んでる、そのときその最中がマジで一番重要で、でそのことを一番分かっておきながら一番分かってない。無意識って言えば多少は聞こえは良いやろうけど、周りが見えてない、客観的に状況判断が出来ない、

でも、それは言い換えればそんだけ何かに熱なってる証拠やったりしてさ、

 

一番心身ともに成長過渡期、思春期である10代、何触れるにも面白くてしゃーない時期、反対に一番、所謂「脆い時期」だったり。自分以外の誰か、他人という存在を一番意識しだす時期かもしれない。自分を高みに立とうとするが故の過ちやったりそういうのは一番強烈で、自分のテリトリーを侵す輩とか、自分より成功してる他人とか、その辺一番思春期ゆえのセンシティヴさ。

自分磨き、何かに熱くなってる時にこそそういう感情は抱いて当たり前の時期。

 

 

何の話かっていうとさー、

 

 

こんな、改修だのの「か」の字も出てない時期、

 

俺がこの小学校の存在知ってそんな間もない頃、っていうか初めて行ったときやった気もするけど、

そん時になんか、こう、

 

なーんかさぁ、

何人かの、大学も卒業してるかしてないかくらいの、

見るっからに成人超えてる男子女子が、

何ヶ月か後か何週間後かにイベントか祭りでも待ち構えてるのか、本物の学生見たく、

目ぇキラッキラさせてさ

教室の出入り、廊下はドッタバタドタバタ行ったり来たり、んで関係者か誰か知らんけど打ち合わせみたいなとかしてて、

そのまぁーー、

忙しないこと忙しないこと!!!!!!

 

寧ろ大人で居ることを完全に忘れちまってるような、身体だけデカなって精神はずっと15~6みたいな、

俺と同じ世代くらいの

活き活きとした男子女子。

 

かと思えばどっかの教室のドア開けたらそこにおる爺さん婆さんとウダウダくっちゃべってるだけの人も中にはいたりして。

 

本当に文化祭数週間前の学校みたい。明らかに大人なのに。廃校になってるはずなのに。

 

何が言いたいかというと、

 

この学校の、俺こういう側面に惹かれたのかも知れん。

 

廃校になってるはずのこの学校を、人に軽はずみに廃校だと言わせまいとがむしゃらになってるような。

 

学校を、「生かそう」「生かそう」としてる光景

 

んでその「生かす」にはもう、手っ取り早く、

 

「俺(私)がこの学校の、

生徒に、

このトシで、

「今」なっちまえ

 

みたいなスピリットを、これでもかってくらいに感じたんよね。

 

そこのスタッフとか関係者とかもう、総動員でやってる立誠シネマの運営にしたってそうやし。

 

なんか、上のもんからしゃーなしでやらされてやってるっていうより

 

「皆好きで、皆やりたいから好きでやってる」感

 

マジで学生感ある。 

 

永遠に学生の時の栄光を手放したくない人ら。

 

あん時の、バカやってた時って、凄い暑苦しくてアホで輝かしくて素晴らしくて美しくて切なくて苦しくて、

 

儚くて。

 

その感覚に、取り憑かれてる連中って感じがした。

これ以上ないってくらい。

 

まぁ、俺が勝手にそん時そう見えてただけで当人たちはほんまはどう考えてて何してたのかは全然わかんないけど

 

俺にはなあ、

 

そんな風に見えたんだよ。

 

そんな風に"しか"見えなかったのよ。

 

もう、ヲタクだよね。

 

いつまでもアホで居たい。VIVA、アホ。

 

夢のような瞬間に、一生浸かっていたい。

 

マジでほんまに、そうだとしたら、

 

ヲタクだよね。

 

懐古ヲタク。

 

学生ヲタクの、究極。

 

マジカッケーよ。

 

社会人なって社会の枠にはまって独り取り残されて、揉みくちゃにされた挙句精神枯渇しきってクマだらけの目で他人を見下ろし、何見ても何触れても「くだらねえ」と鼻で笑ってまう

そんな人型ロボットんなるくらいなら

 

一生ガキでいてやるってか。

 

Rock'n'Rollだ。

 

悪い、すっごいカッケー。

 

ケツの蒼いままが一番良いよな。

 

 

っていう、

 

 

そういう感覚を、忘れてた気がする、俺。

 

まっだまだ、惰性で生きてんなあって。

 

一般的にはどうか、知らん。でも少なくとも今のゆとりや言われてるバーチャル世代の連中よりかは、

ちっとは熱さとかパッション、情緒とか風情を持ってるつもりでいた。

でも俺男やしさー、カッコ付けてーからさ、他人には表面上は何事もなく余裕綽々と我関せずな涼しい顔してたいやん。みたいなさ。

 

でも全っ然。

ダメだなーって。

 

痛感した。学ばずには居られんかった気がする。

 

今日もネットで見てて初めて知ったんやけど、 

まなびや、とか言って、今大人になった人に学生の頃をもう一度経験させたくてやってる

『大人の学校ごっこ』だぁーー?

 

これだよ。

 

関係者総動員で、

皆もう道連れ、み~~んなひっくるめて全員で立ち上げての、

『学生自分の気持ちを忘れない運動』的な。

 

もうやられたよ俺。

こんなにも学生の気持ちを持ち続けようと必死んなってるのみたことない。

 

そんなこんなも、

もう

改修工事まで秒読みってとこまで迫って来てからこんな気持ちになるか。

 

今更。今更の極みじゃほんまに。

 

戦災に逢うことがあまりなかった、第二次世界大戦前から残る数少ない歴史的建造物らしい。

京都でも指折りのモダニズム建築。

一世紀以上も、日本と京都の歴史と共にしてきたこの学校。

それが、耐久性とか老朽化の改修工事とか隣に新設する建物とかその辺のことも含め諸々、

2020年の再出発に向けて、

 

まもなく一時閉校となる。

 

なんか、

足を一歩踏み入れた途端、

どっからともなくチャイムとか生徒のざわめきとか聞こえてきそうな、

あの頃の記憶、

アホで、美しく切ない、蒼い、その全てが

見事に全っ部、蘇ってくる、

そんな空間でした。

 

2020年の再出発、心から楽しみにしてます。

 

本当に、素晴らしい空間でした。

 

ありがとうございました。

 

どなたか、

単純明快で泣ける学園モノの小説か映画

教えてくだせえ。